―セキ★リュウジ氏。数多くのアーティストのミュージックビデオを手掛ける映像ディレクターである。ほんとうに、あまりに多いので、ここでアーティスト名の列記はしないが、作品名となるとそれ以上の数になる。ひとり、もしくはひと組のアーティストで複数制作したケースがいくつもあるからで、平井堅だけでもセキ氏が手掛けたミュージックビデオは16作品もある。もっとも古い監督作は、6枚目のシングル『HEAT UP』(1997年)だ。
「銭函(ぜにばこ)や倉庫街など、基本的には小樽でのロケ撮影。当時の北海道の宣伝スタッフにアテンドしてもらって、いろいろと場所を見つけて……と言うか、出たとこ勝負。ここ良いよね、でも撮れるのかなあ、じゃあ交渉しないと、みたいな(笑)」
―『HEAT UP』の平井堅が白い椅子に座って歌うシーンは、ロケ当日に偶然見つけた美容院の店内で撮影したものだった。
「お客がたまたまいなかったので撮れたのかもしれないですけど、許可がもらえたのは運が良かったですね。ほんとうだったら外部スタッフを招いて、事前に撮影場所を探して、どういうふうに撮るのか細かい打ち合わせをするんですけど、単純に予算が少なかったですしスタッフの数も足りなかった。その頃の平井くんにはミュージックビデオを制作する理想的な体制がまだできていなかったので、撮影はバタバタにならざるをえなかったんですよ」
―続いてセキ氏は、7枚目のシングル『Love Love Love』(1998年)のミュージックビデオの監督も務める。
「撮影は福岡の警固(けご)公園。人がいっぱいいる中で歌いたいっていう平井くんからのリクエストがあって、だったら、ストリートミュージシャンが歌っているところに集まってきた人たちが最後に平井くんたちを取り囲んで大団円になるっていうのが良いんじゃないかな、というところから始まったんですね。人集めはラジオ、撮影前日にcross fmで募集をかけてもらったら思いのほか集まったんですよ。その現場の仕切りを担当したのは、(ソニー・ミュージックエンタテインメント入社直後の)三木。今は映画監督になっている三木の初現場だったんです」
―セキ氏の言う「三木」とは、『ソラニン』(2010年)、『ぼくは明日、昨日のきみとデートする』(2016年)、『思い、思われ、ふり、ふられ』(2020年)といったヒット作で知られる三木孝浩監督のことで、また、平井堅のミュージックビデオ『アイシテル』(2010年)は三木監督が手掛けたものである。
「『Love Love Love』のミュージックビデオに出ているのは、当時の福岡営業所のスタッフが撮影前日にクラブで声をかけて出演してもらったミュージシャンなんですよ。明日の朝8時に集合お願いします、と伝えて、急だったので正直ほんとうに来るのかどうか不安でしたけど(笑)、だからやっぱり、バタバタな撮影でしたね。」
―『HEAT UP』を北海道、『Love Love Love』を福岡でわざわざ撮影したのはどうしてなのか。それは、人情的な動機だった。当時の平井堅はブレイク前だったが、北海道と福岡で局地的に人気を集めていて、その要因は、前者はAIR-G’、後者はcross fmでラジオ番組のレギュラーを持っていたことが挙げられる。そこで、平井堅とスタッフは応援してくれる人たちがいるところで何かできないかと考え、そして生まれたアイデアが、北海道と福岡でのミュージックビデオを撮影する企画だったというわけである。
「どんなにバタバタしていても平井くんは淡々とこなしてくれましたね。こういう感じでやってもらえますかって指示をすると、いつも“はい”って言うんです。平井くんは委ねてくれるタイプで、自分の守るべきところはきちんと発言するんですけど、それ以外の他人に預けるところは委ねてくれて、その場その場できちんと対応してくれる。非常に仕事がしやすい人ですね」
―言うまでもなく、平井堅がブレイクしてからのミュージックビデオを制作する体制は理想的なものへと変わっていった。しかし、それで「バタバタ」がなくなったわけではない。まずは、メキシコ撮影の『LOVE OR LUST』(2000年)。
「海外ロケにしたのは、軽いノリでしたね。そのとき、平井くんがちょうどオフでメキシコのカンクンに行ってて、じゃあその流れで帰るときに撮ろうか、シングルのリリースのタイミングを考えたら時期的にもちょうど良いよね、みたいな話しで。そしたら平井くん、水にあたったのかな、とっても調子が悪くて、しかもロケ場所が空港から車で6時間くらいかかるど田舎。平井くんは移動がつらかったでしょうね、具合悪かったから。到着したのが撮影前日の夜で、とりあえず、明日の平井くんの様子を見てから考えようってことになったんですけど、朝になったらぼくの部屋にプロデューサーが来て、“セキサン、ビッグトラブル!”って言うから、平井くんに何かあったのかと思ったら、フィルムがない、現地のスタッフが持ってくるのを忘れたって。“はぁ?”ですよね(笑)。で、取りに行って、午後1時くらいには戻るからってことだったんですけど、そのあいだ何もできないのはつらいので、カメラマンが個人的に持っていた16ミリフィルムがあったので、それでできることをとりあえずやりましょうということになって。だから『LOVE OR LUST』は、35ミリフィルムで撮ってはいるんですけど、ところどころ16ミリのものも混ざっているんですよ。ましてや、平井くんは体調絶不調。偶然にも、あの作品の世界観を地で行く精神状態。何もかも混乱そのものでしたよ」
―セキ氏は「スムーズな撮影なんてそうはないです。予期せぬことって起きるものなんですよ」と笑いながら、『僕は君に恋をする』(2009年)を撮影したニュージーランドでの「バタバタ」について話してくれた。
「もともとは、平井くんが空撮をやりたいと言ったところから始まったことなんですね。ただ、普通に撮ってもおもしろくないよね、そういえば雪山を空撮したミュージックビデオってないよねって話が盛り上がってきて、今だったら時季的に地球の裏側へ行けば雪があるよってことになり、それでクイーンズタウンに決まったんです。で、平井くんとマネージャーは僕らよりあとにニュージーランドに到着するスケジュールで、普段はぼく、空港へ迎えに行くなんてことしないんですけど(笑)、行ったんですよ。ちゃんと理由があって、クイーンズタウンという町は標高1000メートルくらいのところにあって、平井くんを撮影するのは2500メートル級の山の、2000メートルくらいのところだったんですけど、そのあたりは、平井くんが到着した次の日から雲がかかって1週間くらいそのままだろうって予報があったんですね。平井くんもマネージャーもそんなこと知らないわけです。知らないのに、撮影の予定は到着した次の日だったので、撮るなら今日しかないです、ホテルには行かないです、今から空撮をしにこのまま山へ行きます、お願いしますと伝えたら、びっくりされちゃって(笑)」
―不可抗力。でも運はあった。セキ氏は「予定どおり、もっと時間をかけて撮りたかった」と言ったが、本音はもうひとつあった。
「救われた、のひと言ですね。当時、ニュージーランドではものすごい大作が撮られていて、それは『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなんですけど、この映画、空撮の質がめちゃめちゃ高いんですよ。で、『ロード・オブ・ザ・リング』に関わったスタッフが何人かいて、ナンバー1はヨーロッパに行ってるのでいない、でもナンバー2と3は今いるとのことだったので、だったらその方にということでお願いしたら、やっぱりめちゃめちゃうまくて、撮影もスムーズでしたね。さすがでした」
―そのシーンはミュージックビデオ『僕は君に恋をする』のハイライトでもあるのだが、誰もいない雪山に佇み、“好きだよ さよなら”と叫ぶ平井堅のパフォーマンスそのものも空撮同様に迫力満点。セキ氏は「平井くんはクレバーな人なので、自分がなにをしなければならないのか、いつもきちんとわかっている」と、演者としての平井堅を高く評価した。そこで、ヒッチハイクでラスベガスへ向かう道中と、到着後の「バタバタ」を徹底したコミカルな演技で楽しませてくれる『Strawberry Sex』(2002年)を思い出してみる。
「本人は、演技をすることはそんなに好きじゃないと言ってましたけど、たぶん、そんなに嫌いじゃないはずです。だからいろいろやってくれているわけですし、『Strawberry Sex』のときみたいに、絵コンテがあって、ストーリーや中身もがっつり決まったものであれば、もう言うことなしですよ。監督が誰であっても、仕事がやりやすい人だって思うんじゃないですかね。それに平井くん、日本人離れした端正な顔つきとか、スタイルとか、もともと持っている雰囲気が相まって、とっても画になるんですよ。そういう、歌うこと以外にもすばらしい才能があって、すばらしいファンのみなさんがいて、すばらしいスタッフがいて、だからこそ25周年を迎えられたと思うんですけど、30年、35年と、まだまだ続いていくと思います」
―「まだまだ続いていく」ときっぱり言ったのは、しっかりとした理由があるからである。
「ぼくは初期の頃に続けて監督をしましたけど、途中、マネージャーに話したことがあるんですね、いろんな監督と組み合わせてミュージックビデオを制作していったらどうかと。実際、そういう作戦に切り替えていって、いろんな監督が手掛けて、ぼくがまたやって、次は違う監督がやって、みたいな流れの中で、たぶん、平井くんの中に幅ができていったと思うんですよ。表現力は確実にアップしていて、それはミュージックビデオだけじゃなく、ライブでのパフォーマンスも然りです。だから、いろんな監督との制作はすごく良かったことだったんだろうなって思います、作り手側にとっても。平井くん撮影したいよねという人が増えていったでしょうし、実際にいますし、だからこれからもおもしろい、すばらしい作品が生まれていくと思います」