SPECIAL INTERVIEW

工藤雅史

レコーディング・エンジニア

―工藤氏が初めてミックス作業をした平井堅の楽曲は『affair』、2000年1月発表のシングル『楽園』のカップリング曲である。以降、ほとんどの平井堅の楽曲のミックスを手掛けているので、工藤雅史氏の名前は、CDのブックレットやリーフレットにプリントされたスタッフのクレジット欄ですぐに見つけることができる。それはBlu-ray、DVDのライブ映像作品についても同じことで、つまり、平井堅にとってなくてはならないレコーディング・エンジニアが、工藤氏というわけである。
「私のことを下の名前で“マサシ”と呼ぶ人はあまりいないんです。母親……それから平井クン。“マサシはなあ……”みたいに言うんです。なんか、嬉しいですよね(笑)。」
―これは、長い付き合いゆえの親しみに加え、エンジニアとしての絶対的信頼が工藤氏に対してあるからこその呼称なのではないか。とは言え、初対面のときから二人は言葉数の多いコミュニケーションをしていたわけではない。きっかけがあった。2001年7月発表のアルバム『gaining through losing』のレコーディング中のことだった。
「ある曲をレコーディング中にプロデューサーから、アドリブ(基本とは違うメロディに変えて即興的に歌うこと)をやってみて欲しいと提案された時に平井クンが、アドリブはやりたくないな、という本音をポロッと言ったときがあって、その時に初めてちゃんと話をしたんです。平井クンは、きちっと段取りをして取り組みたいタイプなんですが。だから、その時に僕がやりたくないことはやらなくても良いんじゃないか、って言ったことから会話が増えていった記憶があります。でも結局、ものすごく考えたり練習したりしてアドリブをやったんです。平井クンはとても真面目なんですね、音楽に対しても、一緒に仕事をする人に対しても。」
―平井堅のレコーディングに数え切れないほど立ち会ってきた工藤氏だが、スタジオで感情的になった平井堅の姿は見たことがないと言う。
「平井クンは、いつも穏やかで冷静です。怒ったりすることもないですし、殺気立ったりしていることもないですよ。たまに毒を吐いたり(これが面白い!!)スタジオ作業終了後に缶ビールを買って来て飲んでいる時もあります(笑)。」
―ところで、レコーディング・エンジニアとはどのようなことをする仕事なのか。工藤氏に簡潔に答えてもらった。
「大きく分けて楽器やボーカルなどを録るレコーディングと、それらのバランスや質感を調整してまとめるミックスという作業があります。その中でアーティスト、あるいはプロデューサーがこういうふうにしたいと言ってきたことをうまく形にしていくことがとても重要になります。平井クンは「瞳をとじて」の時とかはほとんど注文はありませんでしたが、「POP STAR」の時は抽象的な言い回しで松田聖子風で(笑)と言った事はありました。最近は全体のイメージの事、ボーカルに関しての質感やリバーブ(残響)はこうしたいと具体的に言ってくる事もあります。例えば「ノンフィクション」では出来るだけ楽器を減らして近い音像でボーカルもヒリヒリした感じにしたいという要望がありプロデューサーさんを通してあのような音像になりました。
でも基本はおまかせで!!ということが多いです。歌入れに関してはプロデューサーにお任せして歌のテイクを選んでもらいますが、プロデューサーがいない時は私がテイクを選んで聴いてもらいます。」
―アーティストやプロデューサーと同じように、エンジニアにもキャラクターはあるはずである。ところが、それについて工藤氏は「あまり考えたことがない」と言う。
「なにか提案をしたりすることも時にはありますけど、それは、アーティストやプロデューサーからの注文ありきで生まれたことなので、自分の個性はこうだみたいなことはわからないですし、そもそも考えたことがないです。但しエンジニアは最初に感じた曲のイメージを膨らませ自分が描いた音を作ります。私はそれに物語を少し付け加えたりします。その付け方が色々なエンジニアの個性を出しているのかも知れません。それがアーティストやプロデューサーと上手く合致するととても嬉しく、そして沢山の方々が聴いてくれたり観てくれたり共感してくれる方々が多いときは本当に良かったなと感じます。
ちなみに個性ではないですけど私、体力が凄いです。通常レコーディングは6時間位から13時間位かかったりしますが苦とも思いません(笑)。」
―今まで様々なプロデューサーとレコーディングをやってきて、それぞれ挑戦があったという。たとえば、2000年12月発表のシングル『even if』のカップリング曲『GREEN CHRISTMAS』ではレイドバック(意図的にゆったりと、のんびりしたテンポにすること)が求められた。
「プロデューサーさんの意向でした。ジャストなタイミングで歌うのではなく、平井クンがどこまでレイドバックできるか、ボーカル録りのときにいろいろと挑戦していたのを憶えています。コーラスの人たちにもできるだけレイドバックしてもらいました。
バックトラックの少なさが空間を作るのにとても効果的でミックスの楽しさがありました。」
―2002年1月発表のシングル『Missin’ you ~It will break my heart~』では、レコーディング途中に急遽Babyfaceさんのコーラス録音、スタッフがギターを借りに楽器屋へ。
「Babyfaceさんのプロデュースなので、アメリカからデータが送られてきました。最初にこの音源を聴いた印象は楽器の配置と音色の作り方が素晴らしくどの楽器も歌を邪魔していないなと。その音源に平井クンのボーカルを先に録音。丁度Babyfaceさんが日本に来るということで確認含め、なにかやりましょうということになって。とは言っても、なにをやろうとしているのかは当日まで誰も分からなかったんです(笑)、日本で平井クンと会って……なにをするんだろうと思ったら、コーラスを入れたいから日本語を教えてほしいということになったんですね。2番の追っかけ日本語コーラス(メインのボーカルと一緒ではなく、やや時間差を設けて歌うこと)をしているのは、Babyfaceさんなんですよ。それと、アコースティク・ギターを入れたいと言うのですが、用意はしていなかったので、機種をいくつか指示してもらって、スタッフに急いで楽器屋へ行ってもらったりもして中々バタバタしました。後日ミックスして、それをチェックしてもらうために、ミックスデーターをBabyfaceさんに送りました。しかし中々返事が来なかったのですが数週間後、OKの連絡がきた時はホッとしました。」
―大きなアクシデントに遭遇したこともあった。2003年12月発表の『Ken’s Bar』に収録されたノラ・ジョーンズのカバー曲『Don't Know Why』はニューヨークでのレコーディングで、その日は2003年8月14日。
「慣れないニューヨークのスタジオで、ちょうど16時ごろ2テイク目を録って、さあ聴いてみようというときに停電。北アメリカ大停電でした。急に電源が落ちてしまったので、コンピュータがどうなったかも分からない。データをセーブしていたのかどうかの記憶もない。ギターは『Don’t Know Why』を作った方で(ジェシー・ハリス)、次の日からツアーに出るのでレコーディングする時間はその日しかない。どうしよう、みたいな。空調も止まってしまったのでとても暑くて、平井クンとマネージャーさんとレーベルのスタッフさんと一緒にスタジオの外へ出たら、信号機が消えているので車がぶつかったりしていて、ホテルのエレベーターも空調ももちろん動いていない。階段で28階は辛い。そこでNY市民がゾロゾロ歩いていくのでついて行ったらそこはセントラル・パーク。仕方がないのでみんなで座り込み涼むことに。そのとき平井クンはなにしてたかな……手をパタパタして自分の顔を扇ぎながらボーッとしていたような記憶があります(笑)。結局その日はスタジオに戻れず、ホテルの自分の部屋で電気がいつ復活するのかと思いながらずーっと起きてました。電気が復活したのは次の日の昼過ぎ。スタジオに戻って確認をしたら、ちゃんとセーブがされていたのでひと安心でした。」
―2011年5月発表のシングル『いとしき日々よ』は、東日本大震災前後にレコーディングがおこなわれた。
「ちょうど平井クンのリズムレコーディングの次の日に起きた大地震。福島第一原発の3号機が水素爆発をした3月14日にボーカルの録音を再開し、スタジオが常にガタガタと揺れている状況の中でスタッフ全員不思議な緊張と不安でのレコーディング。平井クンは色々な感情があったと思いますが集中して歌っていました。」
―レコーディングに苦労はつきもの、ということか。工藤氏は、平井堅のレコーディングでもっとも奮闘したのは、2004年5月発表のシングル『キミはともだち』であったと回想する。
「平井クンの場合、通常のレコーディングですとベーシックなオケ(伴奏)、歌入れ、コーラス、ミックスなどで3日から4日かかるのですが、この曲は楽器の録音がないのに、全行程が7日ほどかかったと記憶しています。」
―『キミはともだち』は完全なるアカペラ。メインのボーカルはもちろん、コーラスも、ギターのリフ(反復されるフレーズ)がわりとなる音も、すべて平井堅の歌。手を叩くクラップや足踏みのストンプといった効果音も平井堅から発せられたものである。
「リズムやコード感といった曲の原型となるものがピアノだけだったので、まず解読していくところから始めました。そして、最初にレコーディングしたのはバッキング・コーラス。一声ずつ6回重ねて、それをLR分(左からの音と右からの音)で12トラック。基本は三声なのでこの時点で36トラックになります。ただし、微妙に声が重なってしまう部分もあったので、倍の72トラックにしました。」
―すなわち、平井堅72人分の声。気が遠くなるレコーディング作業である。
「実は、『Missin’ you ~It will break my heart~』のときにBabyfaceが録音したコーラストラックが、6回重ねのLR分で12トラックだったんです。その手法を真似てしまったことが苦難の始まりでした(笑)。普通の曲のコーラスは一声LR分で2トラック、三声でも6トラックなので、『キミはともだち』はあまりに多くのトラックを録音したことが分かるかと思います。それとベースライン(低音部分)は3トラック重ねていますが、レコーディング開始の時が低い声を出しやすいという平井クンの意見もあったので、それは3日に分けて1トラックずつ録音しました。間奏や落ちサビ(最後のサビの直前となる部分)では、鐘の音のように響くベルトーンや追っかけコーラスなど、ただただ、平井クンの過酷な歌入れが続いた毎日で、のちに、平井クンが“当分アカペラはええわ……” (笑)と言っていたのが印象に残っています。」
―『キミはともだち』ほど、平井堅の声を堪能できる作品はないかもしれない。その歌声を工藤氏は絶賛するが、「それだけではない」とも言う。
「とにかく歌詞が本当に素晴らしいです、あの歌詞、あのメロディがあって、あの声ですからね。15年位前に扁桃腺を切ったときは声が変わってしまうんじゃないかと心配だったんですけど、変わらなかった。
平井クンとはもう20年以上の付き合いになりますが、レコーディング環境もどんどん変わりテープからデジタル、そしてPCによるDAWレコーディングが主流となりましたが歌を録音するマイクだけは20年以上変えていないんです。なんというか聖域な部分というか(笑)。そんな平井クンはいつも新しい事に挑戦していて、毎回私自身も音の追求に刺激を受けています。これだけ長く一緒に音楽を作ることが出来るのはエンジニア冥利につきますしとても光栄なことだなと..。これからもからだに気をつけて、飲み過ぎに気をつけて(笑)、あの声で歌い続けてほしいです。」

Ken Hirai Interview Top

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