SPECIAL INTERVIEW

山本真理

㈱ソニー・ミュージックレーベルズ 宣伝グループ ゼネラルマネージャー

―アーティストが作品を発表するタイミングになると、ラジオでその新曲がオンエアされたり、テレビではそのミュージックビデオが紹介されたり、本人が登場してパフォーマンスをしたり、新聞や雑誌やウェブサイトにはインタビューが掲載されることがある。このような「露出」は、アーティストと各メディアを繋ぐ人がいるからこそ成立するもので、その中心的存在となるのが、プロモーターと呼ばれるレコード会社のスタッフである。
「他にも番組タイアップを取ったり、SNS上での仕掛けを考えたり、楽曲やアーティストの宣伝になることはすべて。多岐に渡ります。」
―こう語るのは、現在、平井堅が所属するレーベルのAriola Japanのプロモーションを担当する山本真理氏。山本氏のプロモーターとしてのキャリア、そして平井堅との関係がスタートしたのは『楽園』が大ヒット中の2000年夏のことで、当時のレーベルは、DefSTAR Records。
「フジテレビとテレビ朝日と日本テレビとニッポン放送の担当になったのですが、以前いたレーベルから異動して1週間も経たないくらいのタイミングで台北出張があったんです。それが堅さんに携わった最初の仕事でした。」
―2000年8月12日に台湾の台北市立体育場で開催された『MTV MUSIC SUMMIT』のことで、 このイベントで平井堅は王力宏(ワン・リーホン)と共演した。
「ものすごく大きな野外の会場だったのですが、とても暑くて、途中スコールがあったり、初現場にしてはなかなか過酷な環境で(笑)。そこで堅さんは王力宏さんと『You’ve Got A Friend』(1971年に発表されたキャロル・キングの代表曲で、平井堅によるカバーは2003年発表のアルバム『Ken’s Bar』に収録されている)をコラボして、他にも『楽園』や『Love Love Love』を歌いました。初めて堅さんの生の歌声を体感した日で、なんて美しい声なんだとひたすら感動したことを憶えています。」
―台北での山本氏の主な業務は、そのライブの模様を収録した映像を現地で編集することだったのだが、なかなかに過酷だったようで、なにより、現在と事情がまったく違うこともあった。
「編集した映像素材は各テレビ局のワイドショー用として納品するもので、夜中まで作業して、ホテルに戻って2時間くらい滞在したのですが眠れず、朝イチの便で帰国。体力的にはキツかったですね。台北まで行って食べたものが、差し入れの、雨でびしょびしょに濡れたビッグマックだけでしたし(笑)。それと、当時はテープ納品。データではなかったので編集所で大量にダビングをして、帰りはすごい荷物。当然、成田空港の検疫でも“これはなんだ?”となるわけです、ビデオですし(笑)。音楽の仕事をやってまして、みたいなことを伝えてなんとかなったんですけど。」
―ドタバタの出張。平井堅と話すことはほとんどなかったとのことで、だからと言うべきなのか、台北では妙な誤解が生じていた。
「イベントのあとの打ち上げに参加して欲しいという指示があったんです。でも、打ち上げに参加していると映像の編集作業が間に合わなくなるので、アタマ20分くらい出て、そのあと急いで編集所へ向かったのですが、そのことが堅さんにはなぜか曲がって伝わってしまっていて、堅さんは、わたしが王力宏さんのファンだから台湾まで行ったと思っていた、ということをのちのち知ったんです(笑)。だから、王力宏さんにお酒を注いでいる女の人がいるな、DefSTAR Recordsへ異動してくるなり会社のお金で台湾まで行って、みたいにずっと思っていたみたいなんですよ(笑)」
―テレビ局へのプロモーションを担当する山本氏が初めてブッキングしたのは、シングル『LOVE OR LUST』の発表タイミング。2000年10月30日にオンエアされたフジテレビの『HEY!HEY!HEY! MUSIC CHAMP』だった。
「番組サイドにとっても念願の初登場だったのですが、当時、スマートなR&B王子として一躍注目を集めていた中、ダウンタウンさんとのトークも下ネタ満載で、とてもハマって、キャラもひと皮むけた感覚がありました。」
―その約1年半後には、老舗とも言うべきフジテレビの音楽番組への初出演を果たす。こちらのオンエアは2002年5月18日だった。
「『Missin’ you ~It will break my heart~』で、プロデューサーのBabyfaceとの共演を収録するために『MUSIC FAIR』初出演のタイミングで、番組初の海外ロケに同行したときは楽しかったですね。以前、この連載インタビューに登場していただいたフジテレビの板谷栄司さんによる企画で、場所はロサンゼルスのハリウッドセンタースタジオ。外国人のトップクラスのミュージシャンって、当日そのときまで本当に来てくれるのかわからないなんていう噂を聞いていたので(笑)、ドキドキしながら待っていたのですが、とてもフランクな感じで現れて、和やかなムードで収録が進みました。2脚の椅子を向かい合わせにして広いスタジオに設置し、一発本番の歌録り。あのときは何もかもが初めてで噛み締める余裕も無かったのですが、今振り返ると、局担当として本当に貴重な経験をさせてもらったんだなとしみじみ思います。空き時間に堅さんやスタッフみんなでロデオドライブにショッピングに行ったのも良い思い出です。」
―プロモーターである山本氏のアイデアが番組そのものになったこともある。2002年9月7日にテレビ朝日でオンエアされた『ボクが歌う理由。』がそれである。
「今現在も、本当に数え切れないくらいお世話になっている『MUSIC STATION』を作り上げたプロデューサーさんに、平井堅でドキュメンタリー番組を作りたいと相談したところ、土曜日の夜の、良い時間帯の枠で編成して下さったんです。2002年夏の『Ken’s Bar』ツアー最終日、8月24日の宜野湾海浜公園野外劇場公演に加えて、北谷で行った打ち上げの模様も撮影したドキュメンタリーで、この番組のナレーションをテレビ朝日のアナウンサー、武内絵美さんにお願いしたところ、ご快諾いただき、武内さんのナレーションでさらに趣深く温かい番組に仕上がりました。発案からオンエアまで、わたしにこのような仕事の機会を与えて下さったテレビ朝日の皆さんや社内の上司には感謝しかないですし、初めてアーティストのドキュメンタリー番組を制作する経験ができたことも良い思い出です。」
―これより少し遡った、同じくテレビ朝日で2002年5月31日にオンエアされた『MUSIC STATION』においても山本氏は番組側に発案をしている。
「2002年5月22日にリリースした『Strawberry Sex』の演出プランをいろいろと相談している中で、当時、バラードのヒット曲が多かった堅さんのイメージをガラリと変えるために、初めて客入れでやってみたいという話をしたんです。360度、女性客に囲まれたステージで、真っ白なスーツに真っ白なハットを被って登場した堅さんは、本当に眩いほどカッコ良かったです。ランスルー(演出をはじめ、すべてを本番と同じように行う通し稽古のこと)では、堅さんと同じ背丈のディレクターがダミーで登場して、振り付きの口パクでパフォーマンスをしたのですが、そのニセ堅さんにも本番同様に歓声を送ってクラップしてくれたお客さんが健気でとてもありがたかったです。」
―日々のプロモーション業務について山本氏は「いつも大変ですし、ずっと苦労しています」と言う。そして「それが当たり前のことなんです」と付け加えた。
「アーティストは戦っているんです。堅さん自身もつねにいろんなアイデアとフレッシュな感覚で挑んでいて、だから、そういう堅さんの表現はリスナーにきちんと伝えたいと思っています。伝えたいからこそ我々はメディアと向き合って、ときにメディア側の意見や考えをそのまま受け入れることはせず、押したり引いたり……うまいバランスでやっていかないと、アーティストも作品もただ消費されてしまうだけですから。」
―山本氏が感じる平井堅の「変化」も、プロモーターとしての高いモチベーションをキープさせる要因になっているのかもしれない。
「堅さんは、作品ひとつひとつに対する覚悟や責任感みたいなものを、以前よりかなり強く持っているんじゃないかと感じています。歌詞ひとつ取っても、1ワード1センテンスにこだわりを感じますし、自分が表現したいと思ったことは貫き通す、ある意味、潔さみたいなものを感じます。」
―たとえば、シンプルな演奏とストレートな言葉からなる『ノンフィクション』は、山本氏の言う「覚悟」であり「責任感」であり「こだわり」が映し出された作品と言えるのではないだろうか。
「『ノンフィクション』は25年間のあいだに堅さんが生んできた曲の中でも個人的に最も好きな曲で、この曲が多くの人に受け入れられて、6年ぶりの『紅白歌合戦』出演(2017年12月31日)に至ったことが、わたしのキャリアの中でも一番うれしかった出来事と言っても過言ではないです。この曲のデモを初めて聴かせてもらったのが、確かこの年の春先くらいだったと思うのですが、凄い曲ができた、一度聴いたら忘れられない強い曲だと感じましたね。堅さんも骨身を削って作った曲だということがわかりましたし、ライフソングとしてずっと歌っていく曲になるんだろうなという予感もなんとなくしました。黒スーツに花束を持って歌う凛とした佇まいもたくさんの人を魅了して、テレビに出演して歌えば歌うほど売れるという現象が起きたんです。その花束、最初はこじんまりとしたものだったのですが、どんどん、どんどん大きくなっていって……(笑)。2017年、堅さんはテレビで『ノンフィクション』を22回歌ったんですよ。調べる限り、この1年間で同一楽曲でのテレビ出演は最多。歌う毎に世の中に広く深く浸透して、ロングヒット曲になりました。」
―とことんシリアスに命の尊さを歌った『ノンフィクション』で、2017年の平井堅は新しい平井堅を、テレビからアピールすることに成功した。一方で、変わらない平井堅も存在していて、その変わらなさも『ノンフィクション』の成功に通じるところがあったのではないだろうか。
「全然変わらないのは、音楽への探究心、お酒愛、お肌やスタイルの美しさ、ファンの皆さんやスタッフを虜にする歌声。それと、偉ぶらないところも。偉ぶったところは一度も見たことがないです。25年間トップリーグで戦い続けることって、きっと我々の想像を絶する大変さと、何物にも代えがたい幸せや充実感が共にあって、その中を歌手として生き抜くことは並大抵ではなかったと思います。ひとつのことを続けるって大変なことですけど、それは、すごく尊いことだと思うんです。歌手・平井堅の前に人間・平井堅があって、そこで感じることを、これからも言葉に、メロディに乗せて届けて下さい。あと・・・生まれ変わったら平井堅になりたいです!」

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