―約1年にわたる平井堅デビュー25周年記念の連載インタビューは、今回をもって終了となる。この企画の趣旨は、本人でなく、平井堅の音楽活動にこれまで携わった、あるいは現在も携わる関係各位に、その方だからこそ知り得る平井堅の過去を語ってもらうというもので、ただし、25人目となる最終回はこれまでと異なる角度からの、超スペシャル。歌手としてと言うよりも、一人の人間としての平井堅を誰よりも知る方にご登場願ったからで、それは、お母様である平井佐和子氏。「あまり憶えていないのですが」と前置きをされたが、まずはデビュー当日、1995年5月13日のことから。
「CDショップにCDが並んでいるか、何度か、確認しに出かけました。もっとズラーッと並べられているのかと想像していましたが、案外少なかったので、やはり地方の田舎町なのかな~と、心配していました。」
―では、デビューをする1年半以上前のことについてはどうだったのか。こちらに関しても「あまり憶えていないのですが」とした上で、「たぶん、否定的なことを言ったと思います」と振り返った。オーディションに合格して歌手になる報告を本人から受けたときのことである。
「とにかく驚きました。将来についてはぜんぜん話をしたことがなかったのですが、英語が得意だったので英語を活かせる職業が良いのかなと、私は勝手に思っていましたから。素人の男の子が歌手になるなんて難しいだろうな、厳しいだろうなと。」
―しかし、前述したデビュー曲『Precious Junk』発売日の行動からもわかるとおり、当然のことながら、どうしたって気になるのである。佐和子氏の「気になるゆえの行動」はほかにもあった。
「友人から、“『フォレスト・ガンプ』という映画を観に行ったら(正式な邦題は『フォレスト・ガンプ/一期一会』。日本公開日は1995年3月11日で、その年の第67回アカデミー賞で主演のトム・ハンクスの主演男優賞をはじめ、作品賞など計6部門を受賞した世界的大ヒット作)、映画の前に、いきなり大スクリーンに堅が現れて、砂浜をバックに白いロングコートを着て『Precious Junk』を歌ったよ!”と言われたんです。」
―本編上映前には公開を控えた作品の予告編のほか、ときに、テレビのようにCMが流れるケースもある。つまり、佐和子氏の友人が劇場のスクリーンで観たのは、ミュージックビデオを用いた『Precious Junk』のCMだった。
「すぐ、小さな孫を抱いた娘と、私の母と、計4人で、(大阪の)難波の映画館へ、その映画を観に行きました。スクリーンで、両手を広げて砂浜で歌う『Precious Junk』は壮大で、強くて、若々しくて、とても胸を打ちました。」
―「砂浜」とは静岡県浜松市にある中田島砂丘のことで、そこでの歌唱シーンは、複数のロケーションで撮影、そして編集された『Precious Junk』のミュージックビデオの見せ場であり、ひょっとすると佐和子氏にとっては、新しい一歩を踏み出そうとする曲の主人公と、歌手として新しい人生をスタートさせたばかりの23歳の平井堅が自然と重なるシーンとなったのかもしれない。
「前途洋々としているように思いました。」
―ところが『Precious Junk』は、レコード会社のスタッフをはじめ、平井堅のデビューに携わった数多くの人たちが期待していたほどの結果を残すことができず、その後もしばらくヒットに恵まれない時期が続いた。
「ヒットするということが大変なことなんだと、しみじみ思いました。作詞や作曲は専門の方々に委ねて、本人は歌うことに専念する方が良いのじゃないかと思っていました。」
―レコード会社のスタッフ的発想とも思える発言だが、シビアな現実を冷静に見ていたということなのだろうか。では、デビュー以降、平井堅からなんらかの相談を佐和子氏は受けたことがあるのだろうか。
「音楽に関して、相談を受けたことはありません。」
―しかしついに、2000年1月に発表されたシングル『楽園』でブレイク。音楽シーンの最前線に躍り出ることとなる。
「ヒットというものは急にやって来るんだなと、嬉しいとかそういうことより、“えーっ!?”という感じでしたね。」
―スターの仲間入りとなった直後は戸惑いに似たものが佐和子氏にはあったようだが、平井堅は『楽園』以降もヒット作を連発。テレビ、ラジオ、新聞、雑誌など、あらゆるメディアへ頻繁に登場するようになる。
「なにかの雑誌で、私の好みではない服を着ているのを見たときは、“うわー、こんな服を着るようになったのか”と思いまして、そのことを直接言ったのか、手紙で伝えたのかは忘れましたけど、注意をしたんです。服は自分の判断じゃなくて、衣装の担当の方が決めるらしいんですけど、私は自分の好みで選んでいるのかとばかり思っていたので怒ったんですけど、そしたら彼もすごい怒りまして、“言われる覚えはない”って(笑)。髪型でびっくりすることもありますし……平凡なお母さんなんでしょうね、私が(笑)」
―ところで、佐和子氏がお気に入りの平井堅ナンバーはなんだろうか。尋ねたところ、最初に挙げたのは、2001年7月に発表された4枚目のオリジナルアルバム『gaining through losing』のラストを飾る『Gaining Trough Losing』だった。
「DVDの映像に流れる世界各国の人々の笑顔と共に幸せな気分になります。」
―「DVD」とは、アルバム『gaining through losing』と同時に発売された『Ken Hirai Films Vol.3』のことで、『KISS OF LIFE』などのミュージックビデオ4作に加え、ロンドンでのアルバムのアートワーク撮影、レコーディング風景を収めたメイキング映像も収録。そこで、平井堅と現地の合唱団が『Gaining Trough Losing』を笑顔で歌うシーンを見ることができる。そして次に挙げたのが、1998年5月に発表されたシングル曲『Love Love Love』。
「毎回聴くたびに、歌詞の明るさに感激します。」
―もう1曲。2017年3月に発表されたシングル『僕の心をつくってよ』の通常盤に収録されたカップリング曲『ほっ』。
「手嶌葵さんとのデュエットが抜群。」
―平井堅ナンバーときたら、2013年10月に配信リリースされた『桔梗が丘』を忘れるわけにはいかない。この曲のミュージックビデオは、故郷の桔梗が丘へ向かう平井堅と、食事の用意をしながらその帰りを待つ佐和子氏が交互に登場し、最後はテーブルについた平井堅がすき焼きを食べるというじつにパーソナルな、そしてレアな内容の映像作品だからで、実家の様子がそのまま収められることや自身が出演することに「抵抗はありませんでした」と佐和子氏は言う。また、撮影に関しても「堅からの希望や注意もありませんでした」とのことだった。
「撮影当日は、すべて楽しいものでした。反省として、スタッフの皆様にもすき焼きをごちそうするべきでした。においだけで悪かったと、今でも思っています。」
―ミュージックビデオの撮影は平井堅が歌手だからこその体験であり、そのような貴重な体験は2010年にもあった。
「ニューヨークライブです。世界最先端の街でのライブは、はるばる日本から足を運ばれたファンの方々や、在米の日本人の方々や、現地の方々など、たくさんの方々のご協力の賜物だと、心から感じました。歌わせていただける幸せを堅も感じたと思います。」
―このデビュー15周年を記念したプロジェクトのひとつ『Ken Hirai 15th Anniversary Special !! Vol.3 Ken's Bar in N.Y.』は平井堅にとって初めてのニューヨーク公演で、佐和子氏の渡米はもちろん平井堅からのプレゼント。佐和子氏は日本国内の公演に足を運ぶこともあるが、その際の宿泊ホテルを手配してもらえることがなによりもうれしいプレゼントとのことで、しかし「アッ!! 忘れてました」と、あるプレゼントのことについて話し始めた。
「車です。(プレゼントされてから)17年間、毎日乗っています。感謝しています。」
―完全にプライベートな家族旅行プレゼントもあった。
「フランスへ行ったことが印象に残ってます。うれしかったです。フランスは私の世代の憧れかな(笑)。エッフェル塔を見に行ったり……あ、ルーヴル美術館へ行く前に雨が降ってきたんですね。そしたらパッといなくなって、3人分(平井堅の実姉も一緒に行った旅行だった)の傘を買ってきてくれたんです。あんまり気の利く子ではないんですけど、そんなことができるんだって(笑)。海外旅行に連れて行ってくれたことは最大の思い出です。コロナの時代になってみて、しみじみ、良い経験をさせてもらったことに感謝しています。」
―「良い経験」とはやはり、平井堅が歌手になったからこそ、体験できたことだったのだろうか。では、一人の人間としてではなく、歌手としての平井堅のどんなところが佐和子氏は好きなのだろうか。
「歌うことに命がけなところ。」
―このデビュー25周年記念の連載インタビュー企画、歌うことに対する平井堅の姿勢については誰に訊いても同じだった。その「懸命さ」は本人にも強い自覚はあって、すなわち、「歌バカ」。
「皆様方のおかげで無事、25周年を迎えることが出来、本当にありがたいことですね。コロナ禍の時代の渦の中、歌うことの難しさは本人が一番考えていると思いますが、歌声を待っている人々は数限りなくおられます。ファンの方々の熱き想いにより添って、一人よがりでなく、人を信じて、前を向いて進んで行ってください。」
―これがデビュー25周年を迎えた平井堅へのメッセージなのだが、そこに佐和子氏は以下の言葉も付け加えた。
「親しきファンの方がおっしゃいました、“堅さんは、世界中で唯一無二の歌手です”。私はこの言葉に感じ入りました。」
―キャリア25年の集大成であると同時に、最新の平井堅をパッケージングした2021年5月12日リリースの10枚目のオリジナルアルバム『あなたになりたかった』は、そしてこれからも発表されていくであろう新しい歌の数々は、佐和子氏の耳に、胸に、どう響き、どう響いていくだろうか。2021年5月13日、平井堅はデビュー26周年を迎える。